興味ない癖にスター押すんじゃねえ。無責任な意思表示はノイズだ。はてなスターの濫用に対して物申す
僕にスターを押そうとしている人へ
僕の記事の5割くらいは読んでくれましたか?
読んでいない→あなたは最も下等な人間です。消えてください。
読んだ→ありがとうございます。
ですが、あなたは読者にもならないし、コメントも書く気はないようですね。
それでもスターを押そうとしているのはどうしてですか?
それは、思考停止の習慣ではありませんか?
ブログは現実とはやや異なるコミュニケーションの場であるという僕の立場からすれば、その習慣化されたお世辞のようなスターは、ブログを現実化してめちゃくちゃにする。匿名性の掲示板なんて、特にお世辞を言ってはいけない。
匿名性良さは、現実に縛られないところです。真実に一歩近づくことができるし、普段話せないことも心置きなく話すことができます。
現実の良さは、ある程度僕を縛ってつなぎとめてくれるところです。結局僕も人間なので、ある程度の偏りは欲しいものです。文化や伝統、人間関係など、時には邪魔になるものでも、蓄積された偏見という名の文化よって僕を縛ってくれなければ、僕はどこにもいけません。だれかを好きになることも、何かを信じることも、こうした縛りなくては難しいでしょう。
では
匿名同士のやりとりに、現実的な社交辞令を織り交ぜるとどうなるか。
縛られてあげたのに、軸が生じないのです。
社交辞令に応じたのに、相手は僕を縛ることなく、相手も僕に縛られることなく、
電子の波の彼方への消えていきます。
それは、最悪の人間交流だと思います。
現実とネットの悪いところをとっています。
ネットで自由になったつもりが現実の価値観から抜け出せずにお世辞スターを投げて満足したり、現実的なコミュニケーションを取ろうとして、挨拶がわりにそこまで興味はないのにスターを投げて、今後の肥やしにしようとしても、相手はいつのまにかブログをやめていたり。
そんなの悲しいですよ。
以下、機械的なスター行為に対する憎悪の数々を。正直、これ以降は興味がないなら読まないでください。汚い言葉を使います。それでも、僕は機械的なスターに絶望した証を残しておきたいのです。
「日々ブログを読んでいていいなと思っても、コメントを書くのは敷居が高く、気持ちが十分に書き手に伝わらずに終わってしまうことも多いでしょう。」
「はてなスターはブログにかんたんにがつけられます。あなたのいいなと思った気持ちをに変えて、世界中のブログにをつけよう!」
はてなスターはじめてガイドより
ふむふむ。すてきな理念じゃないか。はてなスターとやらは。
コメントをする/しない の二択ではさびしいから、するとしないの間の、0か1かでいえば0.5のレベルでコミュニケーションを図ろうと。ふむふむ。
じゃあ、どんな人が、僕のブログに対して「日々ブログを読んでいていいなと思っても、コメントを書くのは敷居が高く、気持ちが十分に書き手に伝わらずに終わってしまうことも多いでしょう。」と感じ、はてなスターを押しているのか。
何気なくランキング記事を眺めると
「あ、この人僕の記事にスター押してくれた人だ!こんな記事に興味あるんだ!」
「あれ、次に読んだ記事にもスターおしてるこの人」
「は?僕の目につく記事にはだいたいこの人がいるんだけど」
あーなるほどね。手あたり次第押しているってことです、か。
気持ちわりいんだよ
コメントに敷居の高さを感じるような謙虚な人間は、誰から構わずスターを押すような厚顔無恥な行いをするのか?
僕のブログに毎回毎回毎回毎回、機械的に機械的に機械的に、虚無スターをぶん投げてくるそこの糞虫。
てめえは、ブログに備わった機能を濫用して、売名だか何だか知らないし知りたくもないが、少なくともてめえ自身の私欲のために、相手があなたのスターをどう解釈するかためらうこともせず、
機械的に洗練された動きで?日課のように?訓練された習慣?あるいは蓄積されたブログ仕草を見せつけるかのように?
背景なんて知る由もないが、おれに虚無スターをぶち投げてくる。
不愉快です。やめてください。本当にいいと思ったものにあなた自身の関心を向けてください。
はてなスターという機能はボタン一つで簡単に意思表示が行えてしまう。簡単とはいえ、コミュニケーション。相手がいます。
僕は、はてなスターを乱暴に押されるのはすごく気持ち悪いと感じます。
つかれた。とにかく、乱暴にスターを押さないでください。こればっかりはお願いです。
読者にならなくても、コメントをしなくてもいいです。ただ、スターに対して、こんな見方をする人もいるんだと知っておいてほしい。せめてちゃんと読んでから押してほしい。ランキングに連なる記事ほとんどすべてにスターをおしている人が僕の記事を読んでいるなんて、信じられるわけないですよ。
もうこりごりですよ。軽薄で意味の伴わない、なれ合いにすらならない、単なるすれ違いのようなやりとりには。
現実だけで十分です。