努力はダサいよ。結果がすべてだよ。gスポットを押せ!このがり勉野郎!
僕が言いたいこと
「学ぶことって客観的に見たらダサい」
「結果が景気を良くする→バブル期の熱狂のように認知がバグる→学習というプロセスにもおまけで褒誉が与えられる」
ということです。
名誉が付与されるプロセスは
×学び→結果
ではなく
〇結果→(じゃあついでに気分もいいし色々参考になりそうだし)学び
という感じ。
人生を楽しく生きたいのなら、結果(僕に対して名誉を与えてもいいと思えるくらいハチャメチャに他人を幸せにすること)にこだわって、時には勉強なんてさぼってしまう方がいいのです。
きわめて単純で原始的な例かつ下ネタなので下品ですが
「僕に対して名誉を与えてもいいと思えるくらいハチャメチャに他人を幸せにする結果」一例として持ち出させてください。
gスポットを押すと、女の子の場合(男の子にもあるのか?けつめどに)、体に基地外のような快感が流れ、僕に対し必死に懇願と思慕の情をあらわします。
では勉強ばかりしてgスポットの押し時を逃してしまうとどうなるか。
僕の予想では
世間体はいいけどブラック気味の会社で、「gスポット程の快感は与えられないけど、まあ世間には必要だよね」って仕事を、社会貢献とか企業理念とか空想に浸りながら、あるいは職人魂という矜持で寒い心に無理やり熱を与えながら、頑張るしかなくなってしまいます。そんであなたが苦しみながら生み出した価値を基盤に社会は続き、gスポットを押すことに躊躇の無いオスがメスからの名誉を獲得しているのです。
結果と名誉の情熱的なやり取りが交わされる最前線にあなたはいません
gスポットを押さなければ。
教科書を読んでいてもすぐにはgスポットは押せません。ですが、町に出て女の子と仲良くなればgスポットを押すことができます。
教科書を読んでも、gスポットが押せる事例はあります。例えば女の子に勉強を教えたり、グループワークで知り合った娘のgスポットを狙うなどの事例が考えられます。
ですが、教科書の本文は学問です。gスポットではありません。
まあ、人それぞれの人生なんで好きに生きたらええんちゃうかと言ってしまえばそれまでですが。
だからといって人それぞれという言葉に甘えると、欲求不満の安易な肯定に繋がります。だから僕は、苦しくても素人者のハメ撮りを見たり、ひどい振られ方をした彼女との逢瀬を思うなどして、血の涙を流しながら、自慰を行っています。
それは、僕自身を「人それぞれ」という言葉で安易に片付けることの無いように、苦しみながら、気持ちよくなるのです。
まあ汚い話はここまでにします。とはいえ、結果という概念を理解するには、快感の最大単位を持ち出さなければ、表面的な自己啓発に終始してしまうおそれもあるので、僕の下ネタは決して無駄ではない。gスポットを押せがり勉野郎。
「結果」が生み出した熱のおかげで、学びという白けた空間価値が生まれていることはわきまえたいものです。
そうでないと、人前に出たときにがっかりします。結果が生み出したバブル期の熱狂で何をしてもちやほやされた気持ち良さに浸りすぎると、祭りばやしの翌日の退屈を生き抜くことはできません。
僕はそんな感じの勘違いをたくさんというか、そうやって勘違いに酔わないとやってられないくらいには余裕がない人間なので、努力を結果と勘違いして期待外れを経験してしまう。。。。本当に気を付けてほしい。