メンヘラのくせに短小ちんこみたいなしょぼいブログを書く人間が嫌いだ

お久しぶりです。

意気揚々とはてぶを始め、駄文を元気に生産したはいいものの、思ったよりも芳しい反応が得られず、萎えて麻雀やゲーム、フィットネスに逃避していました

(ブログやってる人より遥かに健常者に見える!)

 

とはいいつつも、せっかく始めたブログを、キモイアフィカスや売名乞食に絡まれただけの体験に留めたくはありません。汚らわしいので。

 

そこで、今後の方針の整理もかねて、これまでのブログ活動の振り返りと実生活に生じた変化を語ります。現代におけるブログの課題と、希望について知見を提供できれば、少しはインスタやツイッターと(こいつらもバカが増えてきましたが)張り合えるようになるんじゃないかとおもいまする。

 

んじゃすたーと

 

「はてぶを始めて感じたこと!」

①このご時世にブログを書いてるやつ、キモイやつ多くね?w

はい。ブログランキングを見たところ、、、なんだか冴えない連中が多いんですよね

 

・ひたすら対して役に立ちそうもない商品をお勧めしてるアフィカスくさいカス

・自分探しをずっとしてそうなメンヘラ(これは僕も。でもてめえらとは一緒にすんな文章力が違う)。

フリーランスになることだけを目的にした薄っぺらい自己啓発ブログ

 

うーん、きめえ。なんでこんなカスどもがランキングで人権もらってるんですか。お前ら学校や職場に放り込んだら最下位争いするカスのくせに、そんなカスにランキングという権威が付与されるのは本当にブログがオワコンになってしまわれたのだなあと。

 

メンヘラするのはしゃーないとしても、メンヘラのくせにブログがしょぼいのは本当に終わってるんですよ。僕が軽蔑するメンヘラ自分探しブログの特徴として、

「文章が短い、粗チンのようなブログ」なんですよ。

え?そんなうだつが上がらなそうなオーラだしているのに、言語力もないのかと。タイトルでは粋がって社会への不満や自分探しの所信表明をぶちまけているくせに、いざクリックしてあげたら、たったの数行で。。。みたいな。粗末なちんぽこみたいな悲壮感が漂っています。メンヘラの不満なんてだれも真剣に受け止めてくれないんですよ。というかそもそも興味すら持たれないんですよね。精神科医でさえも、所詮は他人だから、1時間以上診察待ちさせて3分でテキトーに診察するっていう地獄。

 

メンヘラを救うには、自分自身に興味を持ってもらうしかないんですよ。メンヘラ対策ガチ勢の精神科医を医療という土俵に立たせたとしても、せいぜいテキトーに処置するのが関の山なほど、無関心ってのは生産性が低いんですよ。だから、メンヘラはこのままずるずる生きたら、精神科医ツイッターの囲いみたいな、「生活の糧のために仕方なく興味があるふりをしている」エゴの塊みたいな連中に金や肉体をもてあそばれて終わるんですよ。

 

おまえは雑魚なんだよ。だからせめて、パソコン開くなら本気で文章くらいかけや。本気出してその短小みたいなカスブログしかかけないなら、おまえはもう本当に終わりだよ。それか本気で悩んでないんだよ。本気で怒ってないんだよ。お前自身のメンヘラという感情は、所詮その短小ブログが限界なんだよ。ってことを噛みしめて生きていってほしいんだ。

まあ、そんな感じの、エネルギーに乏しい人間がうようよいて、気持ち割イなってのが、はてなブログを始めた感想です。

 

じゃあ、ブログを始めたポジティブな側面もしゃべってやるか(あんまりないけど)

それは

「言語表現の多様化」

これに尽きる。

ツイッターとかインスタグラムっていうのは、あらかじめ見てくれる人がいることを前提に成立しているですよ。リアルの繋がりが先にあって、そこから投稿する内容が発生する。全く繋がりを持たずにツイッターやインスタを始めたら、きっと言葉だけじゃ何もできない。顔の良さでオフパコするか、歌やゲームの卓越した技術で魅了するか。そうした武器をもってしても、やはりリアルの繋がりがないことには始まらないんですよね。それって結局、インターネットを既得権益層に譲り渡してしまうことにつながると思うんですよ。リアルでも問題なく人とつながれて、喋れて、価値を作れる人間が、インターネット上でも幅を利かせる。5chなんかも、最近は中途半端なキョロ充のセカンド童貞大学生が増えたせいか、セックスマウントや年収マウントにあふれていて。。。

それって現実の下位互換なんですよね。現実でもマウントはありますよ。でもマウントを行うことで、関係性ができる。どんな形であれ、だれが勝者でだれが敗者か、当事者同士がしっかりと認識できる。だけどネットにはそれがない。ただ剝き出しの競争心があふれて、現実的なつながりを生まないまま人を傷つけるだけになる。それはおもしろくない。

そこでブログなんですよ。ブログはたくさん文字を書くことができます。ツイッターやインスタは文字数に制限がある。文字数に制限のあるツールが、なんかインターネットで人とつながるうえでの一択みたいな立ち位置を占めてるの本当に多様性に欠けていてきもいんだよな。あと、写真を張るのがめんどくさい。動画も載せにくい。それでいて、ランキング機能も完備されている。だから、文章で勝負しやすい土俵が、ブログという空間の唯一にして最大の良さなんだ。

顔が悪くても、歌が歌えなくても、友達がいなくても、文章さえ書ければ、人間として成立するんですよ。インスタは?ツイッターは?写真を載せなきゃ投稿ができない=人間として存在しにくいんですよ。あるいは140字分しか自己を展開することが許されていないんですよ。

だから、俺はブログに期待しているんだよ。俺には友達もそんな多くないし、彼女だって長続きしたことがない。それって童貞よりみじめだぞ。数年の交際を経てもなお、価値を証明できなかった男なんだよおれは。そんなスッカスカの糞みてえな俺でも、自殺したくないから、彼女を作るために、大学デビューを目指して、大学デビューするために、関東の国公立を目指して、関東の国公立を目指すために内申と勉強を頑張って、内申と勉強を頑張るために、部活動や勉強をやるしかなかった。んなもん、友達も、何もしないでもちやほやしてくれる女の子もいないくそみてえな俺がやりたいわけねえんだよ。部活は彼女餅の糞が粋がってやがるし、勉強だっておもんねえし勉強しすぎたらがり勉オーラが出て余計になりたくない自分になる。だから、そんなくそみてえな環境でも生きるために、言葉に頼ったんだわ。言葉だけは、成績が下がろうが女に振られようが、途中入部した野球部にボロカスに負けようが、自分を捉えることを許してくれたんだよ。成績が下がったら勉強は俺に他人面をする。恋人がいなくなったらインスタグラムに乗せることなんてなくなる。野球部に負けたら、本職の選手としての俺の自我は俺に見向きもしなくなる。そんなみじめさを最後にかたどってくれるのは、言葉なんだよ。

だから俺は、弱いくせに言葉すら生み出せない短小ブログを書く人間が嫌いだ。

まるで、言葉すら書けないまま、生きている自分のようだから。