所感 言葉について諸々
「図書館」
本を借りるには技術がいる。
借りたのに読まない本を減らすゲーム、期待外れの本を減らすゲーム。
15冊も借りて、重い荷物を背負って帰ったのに、一切読まないなんて基地外ですか?
読んでない15冊のくそみたいな本を返すためにまた背負って寒い中歩きたくない。
図書館を取り囲む雰囲気は、公共サービス特有の優しい面構えをしている。
けれど、自分の興味関心に無頓着な人間を救ってくれるほど、万能じゃないんですね。
どうせ、僕以外は僕のことを正しく見ていないのだから。
「」
読むこと、聴くこと、知ること、感じること。
書いて、語り、考えること。
最近、少し大人になったのか、そういったことをしている瞬間に、どうしようもない
「カタめられている」ような、いらだち、レジスタンスの衝動を覚えるんだ。
(反抗期のガキみたいな感情を、大人として扱うなんで、僕はかわいくない赤ちゃんだ)
だから、最近は何も調べたくないし、何も尊敬したくないし、自分以外を否定したくて仕方ない、客観的は嫌なやつになっちまったよ。
何かに興味をひっぱられて、それは音楽でもスポーツでも容貌でもなんでもいいんだけど、会ったこともない存在に、調べて数秒で
「すげえ」
それでいいのか?この俺のフニャチン野郎が!
興味の引力、つまり流れは、この俺が作るんだ!
そういってやりたいが、脳みそはすっかり能無しになっちまって、俺の宣言は嘘の響きがある。口は軽く、内臓が透けるような、ばかばかしさを、感じる。
「嘘っぽい柔らかな脆さ」これが今の僕の主体性の、悲しい本質だ。
「うだうだとごみポエムを描いている途中にみつけた、屑籠の中のダイヤモンドのような言葉」
◎星空のかおり
→羽毛の鎧の隙間から、星空のかおりがした。
◎唇に残された最後の艶
→正月終わりの大気圧は、唇に残された最後の艶を無慈悲に拭った。
「」
喋ることが当然、言葉は身近にある。それって幸運なことだったんだよな。最近感じること。
言葉を知って。言葉を真似してみたら、褒められて。
僕は言葉を紡ぐことには、ある程度慣れているのかもしれない。人よりも文章を紡ぐことに抵抗感は薄い。むしろ人より言葉が無いと生きていけない部類の人間で、それがすげえむかつく。
ただ、僕の言語能力って、人生の大部分では形だけのゴミくずでさ。
本当に話したい言葉なんて、紡ぐ指先に比べるとあまりに小さい範囲にしか
存在しない気がして、喋りたくなくなる。
常に間違えて、うそをついて、僕は騙しだまし生きているような辛さがある。
でも
鉄砲は
撃たないと
アたらない